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2020/08/14

禅とはなにか

鎌田茂雄さん(五輪書)つながりで、

「禅とはなにか」(講談社学術文庫)

を紹介します。スティーブ・ジョブズ

も関心を強く寄せた「禅」はどんな

ものなのか、鎌田さんの言葉で聞いて

みます。

 

 

インドで興った仏教と中国の老荘思想

などが融合し誕生した「禅」

 

◆禅の思想

・心の問題

人間性の回復などと言われている。

私たちは目前の様々な快楽に追われ

心の健康ということにほとんど注意

を払っていない。

 

心の問題を考える場合、精神分析学

心理学があるが、悩める心を救うもの

ではない。筆者は仏教の中に心の

問題を考える何かがあるのではと

考えている。

 

・末那識(まなしき)

我執の根本であり、執着をもってその

特性とする。俺が俺が、自分が可愛い

と思うのも末那識だ。

「泣きながら、良いほうを取る 形見

分け」と川柳にあるとおり、私欲を

離れることはできない。

 

・阿頼耶識(あらやしき)

自分だけでなく自分や祖先の犯した

あらゆる経験を貯蔵しているのが阿頼

耶識だ。人間は自分一台ではなく、

「無限の過去と無限の未来に連続して

いる」

 

人間の一瞬一瞬の行為が積み重なって

その生命を流転させてゆくことに思いが

及ぶならば、一日一日の行いを大切に

大切にしてゆかねばならない。

 

・心を縛るものを除くには

「欲に従がふもこれ苦、欲を

絶つもこれ苦なり」

菜根譚(さいこんたん)は説く。

「人生は少しだけ減らすことを考えれ

ば、その分だけ世俗から抜け出すこと

ができる。例えば、もし友人との

付き合いを少しだけ減らせば、その

分だけ煩わしいいざこざから逃れ

られるし、発言するのを少しだけ減ら

せば、その分だけ過失がなくなる」

 

・ただ今のことに集中する

自分を束縛しているものを解放する

にはどうしたらよいか?

それは自分の心を空っぽにするのだ。

過去の失敗を悔やまず、未来のことを

心配せず、ただ今のことに集中する。

そうすれば無念無想の境に入って

いける。

 

「ただ、前念をとどめてくよくよする

こともなく、後念を抑えてびくびく

することもなく、ただ目の前に起こって

いる物事を、次々片つけていくことが

できれば、自然に無念無想の境にはいって

いくことができよう」と菜根譚はいう。

 

・無心とは

無心とは心をどこにも置かないことだ。

「一切心をどこにもおかずに、天地一杯

に遍満させるのである」

一点に気力を集中させ、しかし、心は

どこにも置かない。これが剣の極意で

あると、沢庵禅師は教えた。

 

◆禅宗の開祖、達磨の思想

・「無功徳」の宗教

禅宗の開祖と言われる達磨は、一切の

功徳を否定する「無功徳」の思想を

説いた。寺を造ったり、お経を写したり

することに功徳があると思うのは、世俗

から見た間違った理解であり、迷いの

原因だという。

 

・無功徳が人生に深みと厚みを与える

無功徳の思想を支えるのは「無限の

努力」である。理想は実現できない

こそ理想であり、実現できない理想に

向かって、一歩一歩努力するところに

人生の意義がある。

 

◆禅を現代にどう生かすか

「忙しい」は「心を亡する」ということ

だ。仕事に励むことは美徳ではあるが、

あくせくしすぎると、心を豊かに楽しむ

ことができなくなる。

 

・新たな価値観を求めて

仏教では人間の欲望を「三毒」と呼ぶ。

貪り、瞋り(いかり)、痴さ(おろかさ)

の三つをいう。

「多欲の人は利を求むること多きが

故に苦悩もまた多し。少欲の人は無求無欲

なれば、すなはちこの患(うれ)ひなし」

「知足の人は貧しいと雖もしかも富めり」

遺教教(いきょうきょう)」はいう。

 

・人は人、吾は吾なり

「世を処するに一歩譲るを高しとなす、

歩を退くるは、即ち歩を進むるの帳本

なり」(菜根譚)

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瑠璃光寺のつくばい

「吾唯足知」

 

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枯山水

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