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2019/11/17

再考「二宮金次郎」

二宮金次郎を知らない人はいないで

しょう・・・

先日NPO法人リュバンの特別講演会

で映画「二宮金次郎」を取り上げた

ので参加してみました。

https://ninomiyakinjirou.com/

(映画二宮金次郎 リンク)

私たちの世代は戦後教育の常として

戦前的なものの否定の雰囲気のもと、

勤労・勤勉、富国強兵、教育勅語等々

に対してのアレルギーがありました。

 

二宮金次郎はその象徴としてのイメージ

が強くありました。ここでは映画の

紹介と今までと違う二宮金次郎像を

お話したいと思います。

 

◇あらすじ

1787年(天明年間)相模の国栢山

(かやま)村に中農の子として金次郎は

生まれた。平穏な暮らしが一変したのは

4歳の時だった。関東一円を襲った

暴風雨で酒匂川が氾濫、父の田畑は

荒地と化し、一家は貧窮のどん底に

落ちてしまう。

 

その荒地開墾がたたり、父は47歳で

他界した。金次郎13歳の時である。

そして、その2年後母が急逝する。

35歳の若さだった。母の死後、弟二人

は母の実家へ、金次郎自身は父方の叔父

の家へと、一家は離散を余儀なくされる。

 

叔父の家の野良仕事で働きづめの毎日。

だが注目されるのは金次郎が学ぶのを

やめなかったことである。芝刈りの山

への往復でさえ「大学」を手放さなか

った。

 

しかし、「百姓に学問は要らない」と

叔父は勉学を嫌った。それでも金次郎は

夜着をかぶって行燈の灯を隠し、学び

続けた。・・・・・(中略)

 

金次郎は捨てられた稲苗を拾ったのは

16歳の時、それを荒地に植え、秋に

一俵の籾が取れた。翌年は五俵になった。

 

自然の営みに人間の勤労を加える営み

をコツコツと積み上げる大きな成果に

なる。

 

金次郎は「積小為大」の哲理を貧窮との

戦いから会得する。それは、「至誠」

「勤労」「分度」「推譲」という実践

哲学に発展し、金次郎に多くの農民を

救う指導者に成長していった。

 

やがて小田原藩分家の領地である

桜町領の復興を任される。「この土地

から徳を掘り起こす」と『仕法』と

呼ぶ方法で村を復興させようとする。

 

映画では守旧派の人々から妨害され

ながら、成功していく物語が描かれる。

(リュバン佐々木泰明さんの紹介資料を

 中心に引用)

 

根性中心の精神だけでなく、道徳経済

一元論にみられるように、金次郎は

各地(何と生涯で600か所!)の再建

に携わり、再建・復興計画書(仕法書)

の中で、あらゆる数値を使って計画

手段を示しながらそれを実行していく

のに必要な道徳や心構えなどを必ず

説いています。

 

「道徳の伴わない経済は犯罪に結び

つき、経済の裏付けのない道徳は寝言

に等しい」という意味のことを言って

います。

 

これはいかがですか?実に現代のこと

を痛烈に洞察しています。

 

ただの勤勉のお手本としての二宮金次郎

とは別の姿が見えてきた気がします。

 

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現在の停滞した日本の状況をみるにつけ

頻発する天災と人口減少の危機にあった

18世紀末から19世紀前半の日本と現代の

日本の環境が類似していることに気が

つきます。

 

各時代の日本人の偉業を再認識する教育

もとても重要だと痛感するものです。

 

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