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2019年11月の投稿

2019/11/22

「依存症ビジネス」のつくられかた

最近外出先で見かける光景。

誰もがスマホ片手に暇さえあれば、

見つめ続けている姿。どうしても

気になります。本ブログでも度々

取り上げましたが、いろいろな側面

から見てみたいと思います。

 

有害な行動を繰り返さざるにはいら

れない。新らしい依存症「行動嗜好」

スマホ、ゲームなど身近にあるテク

ノロジーがもたらす現代の病について

説く。「僕らはそれに抵抗できない」

アダム・オルター著 ダイヤモンド社

の要旨をご紹介します。

 

◇自分の商品でハイになるな!

アップルのイベントでiPADを発表し

たスティーブン・ジョブズは2010年

に言った。「このデバイスにできる

ことはまさに驚異的です」

 

しかし、彼の子供にはiPADを使わせ

てはいない。IT業界の大物たちは

このようにテクノロジーを広める

一方その弊害を感じているのだ。

その理由は二点。

・依存症は特殊な人間だけがなるの

 ではない。環境と状況によって

 誰にでも起こる。

・自分たちが売っている製品は、

 ユーザが夢中になることを意図的

 に狙ってデザインされていることを

 知っている。

 

◇現代人に広がる「行動依存」

スマホは私たちから何を奪うか?

もちろん第一は時間だ。アプリ開発

をしているケヴィン・ホレーシュは

一日のスクリーン使用時間を追跡する

アプリを開発し試した。その結果

一日3時間。手に取る回数は39回。

「僕は家族との時間が十分取れて

いないと最近感じる」

このように意識していない人は、

もっとの時間を費やしているかも

しれない。

 

でもそれだけでない・・・ スマホは

たとえ使わなくても、そこにあるだけ

で人間関係を損なう。スマホの向こう

の世界を常に思い出しているので、

目の前の会話に集中できない。

 

・一緒にいるのに一人

「ママは夜ご飯の時、ほとんどiPAD

をしている」「ママに遊ぼうと言って

いるのに、ずっとスマホでメールを

打っているの・・・」

子供に与える影響は大きい。コミュニ

ケーションと愛情の問題だけでなく

幼児は親の目線を追うために集中でき

ない子供を育てることになる。

 

・ウェアラブル端末の進化が、運動

依存症を加速させる

私も付けているが、ウェアラブル端末

はメールの着信を教えてくれたり

心拍、血圧数を計測している。

素晴らしい機能だが気にしすぎると

「運動依存症」に陥る。

適度なところで手を引くことが

難しくなり、強迫観念が増して、もっと

もっとと、どちらが主体か分からなく

なっていきやすい。

 

◇新しい依存症「行動嗜癖」

何らかの悪癖を常習的に行う行為を

「行動嗜癖」という。

例えばドラマを一気に何話分も観る、

スマホを頻繁に覗くなどで、薬物など

の物質依存症とよく似ている。脳の

同じ領域を活性化させ、刺激が欲しい

など同じニーズによって深みに嵌る。

<行動嗜癖の6つの要素>

①手を伸ばせば届きそうな魅力的な

 目標がある

②予測できない頻度で、報われる感覚

 がある

③段階的に進歩・向上していく感覚が

 ある

④徐々に難易度を増していくタスク

 がある

⑤解消したいが解消されない緊張感

 がある

⑥強い社会的結びつきがある

 

◇新しい依存症に立ち向かうために!

①子供は大人より依存症になりやすい。

 だから、子供を長時間デジタル

 デバイスで遊ばせない

②スマホやパソコンを、自分の手の

 届く範囲から物理的に遠ざける

③行動嗜癖を逆手に取る

 例えば、子供が嫌がる歯磨きを

 ゲーミフィケーション(ゲーム化)

 することで行動を促す

 

携帯PCやスマホでインターネットアク

セスが可能になり、連絡手段がモバイル

なメール、SNSとなって10~20年弱、

ほぼ全員が持つようになってきた今日、

健全なモバイルとの距離感のステップ

アップがそろそろあってもいいと

感じる今日この頃です。

 

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2019/11/17

再考「二宮金次郎」

二宮金次郎を知らない人はいないで

しょう・・・

先日NPO法人リュバンの特別講演会

で映画「二宮金次郎」を取り上げた

ので参加してみました。

https://ninomiyakinjirou.com/

(映画二宮金次郎 リンク)

私たちの世代は戦後教育の常として

戦前的なものの否定の雰囲気のもと、

勤労・勤勉、富国強兵、教育勅語等々

に対してのアレルギーがありました。

 

二宮金次郎はその象徴としてのイメージ

が強くありました。ここでは映画の

紹介と今までと違う二宮金次郎像を

お話したいと思います。

 

◇あらすじ

1787年(天明年間)相模の国栢山

(かやま)村に中農の子として金次郎は

生まれた。平穏な暮らしが一変したのは

4歳の時だった。関東一円を襲った

暴風雨で酒匂川が氾濫、父の田畑は

荒地と化し、一家は貧窮のどん底に

落ちてしまう。

 

その荒地開墾がたたり、父は47歳で

他界した。金次郎13歳の時である。

そして、その2年後母が急逝する。

35歳の若さだった。母の死後、弟二人

は母の実家へ、金次郎自身は父方の叔父

の家へと、一家は離散を余儀なくされる。

 

叔父の家の野良仕事で働きづめの毎日。

だが注目されるのは金次郎が学ぶのを

やめなかったことである。芝刈りの山

への往復でさえ「大学」を手放さなか

った。

 

しかし、「百姓に学問は要らない」と

叔父は勉学を嫌った。それでも金次郎は

夜着をかぶって行燈の灯を隠し、学び

続けた。・・・・・(中略)

 

金次郎は捨てられた稲苗を拾ったのは

16歳の時、それを荒地に植え、秋に

一俵の籾が取れた。翌年は五俵になった。

 

自然の営みに人間の勤労を加える営み

をコツコツと積み上げる大きな成果に

なる。

 

金次郎は「積小為大」の哲理を貧窮との

戦いから会得する。それは、「至誠」

「勤労」「分度」「推譲」という実践

哲学に発展し、金次郎に多くの農民を

救う指導者に成長していった。

 

やがて小田原藩分家の領地である

桜町領の復興を任される。「この土地

から徳を掘り起こす」と『仕法』と

呼ぶ方法で村を復興させようとする。

 

映画では守旧派の人々から妨害され

ながら、成功していく物語が描かれる。

(リュバン佐々木泰明さんの紹介資料を

 中心に引用)

 

根性中心の精神だけでなく、道徳経済

一元論にみられるように、金次郎は

各地(何と生涯で600か所!)の再建

に携わり、再建・復興計画書(仕法書)

の中で、あらゆる数値を使って計画

手段を示しながらそれを実行していく

のに必要な道徳や心構えなどを必ず

説いています。

 

「道徳の伴わない経済は犯罪に結び

つき、経済の裏付けのない道徳は寝言

に等しい」という意味のことを言って

います。

 

これはいかがですか?実に現代のこと

を痛烈に洞察しています。

 

ただの勤勉のお手本としての二宮金次郎

とは別の姿が見えてきた気がします。

 

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現在の停滞した日本の状況をみるにつけ

頻発する天災と人口減少の危機にあった

18世紀末から19世紀前半の日本と現代の

日本の環境が類似していることに気が

つきます。

 

各時代の日本人の偉業を再認識する教育

もとても重要だと痛感するものです。

 

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2019/11/12

秋の京都散歩

ご無沙汰しました。

定年ライフも秋のイベントシーズンは

それなりに教養?・教育?

「今日用、今日行く」があるものです。

 

久しぶりに仕事関係のついでに京都

へ寄ることができました。11月上旬

の紅葉には少し早い時期でしたが、

人が少なく快適に散歩できました。

 

まずは京都西山にある善峯寺です。

紅葉で有名だけあってもみじの木の

てんこ盛り。日本一の松もあります。

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天然記念物「遊龍の松」

枝ぶりが日本一ということでしょう。

当山は平安中期に開山ですが、

興味深いのは徳川五代将軍綱吉公

生母の桂昌院が多くの建物の再建に

貢献しています。

 

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お昼は市内丸太町「竹邑庵太郎敦盛」

(ちくゆうあんたろうあつもり)

で写真のように茹でたそばがその

ままざるに盛られ、ひれ酒のように

熱くした出汁を生卵に注いだ

ユニークなものです。

 

さらに関西生活十年で行けなかった

高雄神護寺に足を伸ばしました。

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この深谷に向かって素焼きの土器(かわらけ)

を投げ、無病息災を願うものです。

 

高雄は山に入るので同じ日でも京都の街

とは少し紅葉が進んでいます。

当山は平安京造営の最高責任者の 和気

清麻呂公が高雄山寺を創建され、その後

神願寺を合併して824年に神護寺に

改められました。

 

弘法大師が唐から帰朝し809年から

十四年間住持したことが特徴的です。

 

「納涼房に雲雷を望む」(弘法大師)

 雲蒸して壑(たに)浅きに似たり

 雷渡りて空地の如し

 颯颯として風房び満ち

 祁祁(きき)として雨あらしを伴う

弘法大師「性霊集」巻第一より

 

この詩を味わうのにぴったりの空気

でした。

 

前号の友人の死から日常に戻る契機

としてもよい京都散歩となりました。

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