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2019/06/29

歎異抄

敬愛する司馬遼太郎氏は

「無人島に一冊の本を持っていくと

したら『歎異抄』だ」(週刊朝日

平成8年11月1日号)と語っています。

 

そこまでいえるとは、いったいどんな?

という興味が湧き出してきます。

まずは原文と現代語訳の「新版歎異抄」

千葉乗隆訳注 角川ソフィア文庫)を手

に取りました。

 

司馬遼太郎全講演第1巻によると、

第二次世界大戦し招集されたときに

初めて読み、以下のように述懐して

います。

 

「死んだらどうなるかが、わかりません

でした。人に聞いてもよくわかりません。

仕方がないので本屋に行きまして、親鸞

聖人の話を弟子がまとめた「歎異抄」を

買いました。非常に分かりやすい文書で、

読んでみると真実のにおいがするのです

ね。

 

人の話でも本を読んでも、空気が漏れて

いる感じがして、何かうそだなと思う

ことがあります。『歎異抄』にはそれが

ありませんでした。(中略)

 

ここは親鸞聖人にだまされてもいいや

という気になって、これでいこうと

思ったのです。兵隊となってからは肌身

離さず持っていて、暇さえあれば読んで

いました。

 

私は死亡率の高い戦車隊に取られました

から、どうせ死ぬだろうと思っていまし

た」

 

定年後は60年以上酷使してきた身体の

パーツにガタが来てあちこちいたくなった

り、病院のお世話になる機会が増えます。

 

そんな時、ふと「死」を意識することが

あります。50才代とはちょっと違う感覚

です。まさにそんな時期だから、今まで

通り過ぎていた「歎異抄」の響きに耳を

澄ますことになったかもしれません。

 

前回ブログの知的生活でも触れましたが、

こういった先人の推挙する本こそ何度も

読み返してみる意味がありそうです。

 

以降は第一条の要約をしますが、浄土真宗

の教えの要が簡潔に表現されているといわ

れています。私は、仏教の宗派や教義の

解説というよりは「悩める人間」として

司馬さんの読書の追体験をするつもりで

紹介していきます。

 

「阿弥陀仏の命あるものはすべて救うと

いう誓願を信じて念仏すると、『摂取不捨』

の利益がある。

 

『摂取不捨』とは単に仏がおさめとって

見捨てないということではなく、仏に背

を向けて逃げるものをどこまでも追いかけ

ひとたびとらえると決してはなさない。

 

この念仏の教えにあいながらも、仏に背

を向けて逃げ惑う煩悩にまみれた人間が

仏の誓願は自分のためであったことを

知らされて、仏を信じて念仏するとき、

善人も悪人もわけへだてなく直ちに救わ

れるという。

 

仏の不思議な力のこめられている念仏は

これにまさる善はないので、他の善い行い

をする必要はない」

 

司馬遼太郎さんが招集され死は逃れられ

ないと覚悟した時、軍隊の現場での心情を

想像し、読むたびにふと気持が楽になった

のでは・・・と感じるものです。

 

Dsc_0404

(梅雨に入り、蒸し暑さを強く感じる頃、

 毎年花を咲かせ始める「のうぜんかずら」

 まとわりつく空気感とともに季節を

 感じさせる)

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