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定年後の居場所

このブログは、あれやってます・・これやってます・・
と皆様にお伝えしながら、自分を励ましたり、内容を
トレースして自分自身の情報整理することが、私自身
にとっての意味になっています。

通常勤務の会社を40年過ごし定年退職し、ある会社
の顧問的アドバイザーで週2~3日過ごすことを始めて
4か月が経過しました。従来と違って、やるべき仕事
が決まっていて、それをどうやってこなしていくか?
という差し迫ったタイプから大きく変わって、会社や
職場がよくなっていくように助言をしていくというのは、
なかなか難しいものです。

この暮らし、最初は平日に休むことが珍しく、新鮮な
ものでしたが、だんだん、自宅においても、職場におい
ても、時々「孤独」を感じるようになってきます。
定例業務ではないので、、報告や相談が常に来る
でもなく、地域においては、知り合いがいるでもなく・・・
ということは頭では分かっていますが、時間が経過し
てくると、自分の「居場所」が分からなくなり、時々
「孤独」にさいなまれるようになります。今まで番組
や本でも読んできたし、対策を立ててきたつもりで
もありますが、やはり実体験すると違いますね。

そうそう、最近「定年女子」と今話題の南果歩さんが
53歳で役職定年を迎え、その年代の働く女子の
悲喜こもごもを演じていて、現在4回(8回シリーズ)
で、自主退社してハローワークに通いながら、自分
自身の「位置づけ」を再確認していくストーリーで、
実に面白く、身につまされながら共感するものです。

「自分」とは何者なのか?ということを明確に問われ
ているのですね。元どこどこの社員ですと言っても
「ああ、そう」で終わりです。そうやって、会社やその
仕事としての「居場所」があまりにも大きくて新しい
環境の自分としては、いろいろなことにチャレンジして、
自分の「居場所」を自己責任で探していくことになると
いうことを痛感します。

だから、誰かに何かをしてもらおうと考えていると、
ひたすら失望して落ち込んでいくのかもしれません。
何しろ今まで、会社に守られ、職場の多くの人たちに
支えてもらっていたわけですから・・・・・

結局「自分は自分」として、自分の居場所(ポジション)
を作り直すということを自ら開き直って切り拓いていく
しかないという結論にたどり着きました。

「そうとは思っていたが、やっぱり、そうか・・・」が本音
ですね。改めて自分を激励するものです。そもそも
考えてみると、かなり恵まれた生活を過ごせてこられ
たことを自覚しなきゃね・・・

「自発的」に物事を捉えていき、いろいろな人のつな
がりで、それに感謝しながら、どう役に立っていくのか
自分は何がやりたいのかを「能動的」に「積極的」に
「自ら動く」という発想しかないような気がします。

先日、独立して個人で仕事を始めて、顧問業、ビジネス
マッチングをやっている会社の同期入社が訪ねてき
て、この3か月仕事もうまくいかず、廃業しようかと、
とても落ち込んでいたところ、ある先輩の経営者から
「何言ってんだ!今から75歳までの君の人生プラン
を立ててみろ!そうしたら変わってくるから・・・」と励ま
され、はっと我に返ったという話を聞き、何だか自分
自身も励まされた感じがしました。


Dsc_1904

(盛夏の百日紅(さるすべり)、あちこちで美しい!)

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日野原重明さん逝く

聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが18日に
105歳の天寿を全うされました。

日野原重明さん 「生き方上手」2001年にベストセラーと
なった時に知りました。当時私は47歳で、一度目の大阪
赴任から東京に戻り、「50歳からの生き方」の意識を始め
た時期に出会い、感銘を受けました。人生の契機となる
一冊でした。

今回は、到知出版のメルマガを引用し、日野原さんの命、
子どもに対しての名言をお伝えし、追悼とします。


「人生は順逆の連続という。順逆をこえるとは、順境にも
逆境にも負けない自分を創るということである。

日野原先生の100年の人生にも、順境逆境は繰り返され
たろう。それをこえ、いまなお使命に生きておられるお姿
には神々しさがある。

1970年、日航機よど号ハイジャック事件があった。

日野原先生はその機中にいた。

58歳だった。


事件四日目、乗客は全員無事、韓国・金浦空港で解放さ
れた。

靴底で大地を踏みしめると、「無事地上に生還した」の思い
が膨らみ、これからの人生は与えられたもの、人のために
生きよう、という決意に繋がっていったという。
 
帰国した日野原先生を、1,000人を超す人たちからのお見
舞いやお花が待っていた。その礼状に奥さまが書き添えら
れた。

「いつの日か、いづこの場所かで、
 どなたかにこの受けました
 大きなお恵みの一部でも
 お返し出来ればと願っております」


この言葉が日野原先生第二の人生の指針となった。
 
昨年末、NHKテレビで日野原先生のドキュメンタリー
番組が放映された。

インフルエンザで39度の熱がありながら、子供たちと
の約束だから、と地方講演に向かわれる姿をテレビは
映し出していた。

その先生が作られた俳句がある。
   
100歳はゴールではなく関所だよ
 
人生の順逆にほほえみを持って立ち向かわんとする姿
が、この句に表れている。

命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは
 君たちが持っている
 時間だからなんだよ。
 死んでしまったら
 自分で使える時間も
 なくなってしまう。

日野原重明
<<<<<

日野原重明医師が10歳の子どもたちに贈った「命」
の授業とは……。
 
(日野原) 
 僕が一貫してテーマとしているのは
 命の尊さです。

 難しい問題だから
 なかなか分からないけれどもね。

 でも

「自分が生きていると
 思っている人は手を挙げてごらん」

 と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」

 って質問すると、
 心臓に手を当てて

「ここにあります」
と答える子がいます。

 僕は聴診器を渡して
 隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
 このように話を続けるんです。

 ・  ・  ・  ・  ・

「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
 これは頭や手足に血液を送る
 ポンプであり、命ではない。
 命とは感じるもので、
 目には見えないんだ。
 君たちね。
 目には見えないけれども
 大切なものを考えてごらん。
 空気見えるの?
 酸素は?
 風が見えるの? 
 でもその空気があるから
 僕たちは生きている。
 このように本当に大切なものは
 目には見えないんだよ」と。

 
それから僕が言うのは

「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは
 君たちが持っている
 時間だからなんだよ。
 死んでしまったら
 自分で使える時間も
 なくなってしまう。

 どうか一度しかない自分の時間、 
 命をどのように使うか
 しっかり考えながら
 生きていってほしい。

 さらに言えば、
 その命を今度は
 自分以外の何かのために
 使うことを学んでほしい」」

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香港歴史博物館

香港観光で格安ツアーでは、観光コース以外の空き時間
が割とあります。どう使うかも知恵の使いどころですね。

地下鉄(MTR)で行けて、お金も掛からずそれなりに楽しい
ところ、「香港歴史博物館」を見つけました。しかも、水曜日
は無料(通常は10HKドル 150円前後)でうれしいものです。

博物館は歴史好きでご当地の全体像をつかむのにとても
便利だと今回も思いました。7,000㎡で3,700点を超える
展示品に広々、ゆったり、圧巻でした。おすすめですね。

香港故事は常設展示で、1975年博物館設立で8つのテーマ
に分かれています。パンフより抜粋します。
1 自然生態環境
2 有史前の香港
3 王朝の発展:漢代から清代まで
4 香港の民俗
 Dsc_1853

5 アヘン戦争と香港の割譲
 アヘン戦争での敗北によって中国は香港を英国に割譲
 し、これが香港史の分水嶺になりました。発端、経過と
 その影響だけでなく、新航路発見によるポルトガル人の
 マカオ上陸と貿易活動や広州の外国商社・十三行による
 貿易、初期の中英関係まで時を遡り、九龍半島の割譲
 と新界の租借に関する因果関係について詳しく説明して
 います。

6 香港開港と初期の発展
 戦前の九龍の拡大写真を背景にヨーロッパの蒸気船が
 停泊し、洋館の古い通りには、茶葉問屋、裁縫店、質屋
 雑貨店、郵便局、銀行、商社・・・古式豊かな誠済堂薬局
 や二階建てのトラムが・・・前世紀の情緒が漂っています。

7 日本占領期
 1941年12月25日、18日の苦しい抵抗の後、香港総督
 のマーク・ヤングが日本に投降し、香港は3年8か月の
 暗黒時代に陥りました。・・・「香港占領地総督部」の木製
 の額も展示されています。

8 現代都市と香港返還
 香港の住宅、工業、金融、貿易などの各方面での飛躍的
 発展を説明します。後半部では、文物、記念品、重要文献
 などで、中英交渉、中英共同声明の調印に到る香港返還
 の全過程を紹介しています。

Dsc_1839
(香港名物 香港トラム 車両全て二階建て)


英国の統治のもとで、発展を遂げ、返還に到るまでを肯定
的に扱う反面、日本占領期は暗黒時代で果敢な抵抗戦闘
を称え、恐怖の下の市民生活を描いています。

日本では香港が占領されていたこともよく知らないという
意味でも認識しておく重要性を感じました。

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香港観光

夫婦で二泊三日で香港に行ってきました。お手軽な
格安ツアーです。格安ツアーも自分で動き回る気持
ちと下調べがあれば結構いけます。ホテルはちょっと
場所とクチコミでチェックは必要です。

今まで行ったことがなかったし、中国返還二十周年
式典が7月1日に行われたばかりの香港の事情を見
てきました。

高温多湿の季節ではありましたが、いわゆる百万
ドルの夜景は堪能できました。

Dsc_1809

(19世紀からあるケーブルカー ちょっと手振れ)

Dsc_1812

(ケーブルカーから見る夜景、左に傾いているのは
 車体が右に傾いているため 当たり前か・・・)

ビクトリアピーク なかなか最近ではすっきり見えない
らしいです。雨季ともいえますが、特に今年はスコール
的に一日数回降ったりやんだりとか。

Dsc_1826


そもそも香港には人口が何人いるのか?
答えは730万人。(2015年)

「返還以来87.9万人が中国本土から移り住んでいる
そうです。香港島北部の住宅地と九龍半島に人口
が集中しており、両者を合わせて127.75平方キロ
メートルと香港全体の面積の12%弱の地域に、香港
総人口の約48%に当たる約338万人が居住している。」

Dsc_1829

(九龍 旺角地区 ホテル近く 高層建築しかない)

水は40%、電力は20%を本土深セン地区から賄って
います。古いエレベータもない8~10階建ての住居
と最新式バルコニー付高級マンションまで混在して
います。

Dsc_1852

地元のガイドさんの話によると、返還後貧富の差
は激しくなり、税金(消費税)なしの代わり、年金や
健康保険がなく自己責任で生きていくしかない事情
があるようです。

貧富の差の象徴的な映像、香港屈指の富豪のプレ
ジャーボートと水上生活者。
Dsc_1841


Dsc_1848


水上生活者のボートは数年で撤去される予定だそう
です。

Dsc_1864

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20時からライトアップのショーが13分間開催されて
います。香港島と九龍の間のフェリーから見る
ライトアップ映像。とてもきれいです。


「香港は世界で最も人口密度が高い地域の一つであり、
1平方キロメートル当たりの人口密度は6540人(2010年)
である。18の区のうち最も人口密度が高い観塘区では
5万4530人に上る。香港の出生率は1000人あたり12.5人
(2010年)で、世界でも低水準にある。

九龍地区の1平方キロメートル当たりの人口密度は4万
4917人、同じく香港島北部は1万5726人である(いずれも
2010年)。

香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、
全体の93%を占める。華人以外で多いのはメイドなどの
出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やイン
ドネシア人で、かつての宗主国のイギリス人が次ぐ。
日本人は約1万4000人居住している。

香港返還以降の人口増加の大半は本土からの移民に
よる。2015年の調査によると、1997年の香港返還以来、
中国本土から香港に移り住んだ人の数が87万9000人に
達していることが明らかになった。2105年現在で香港の
人口(730万人)の8人に1人が本土出身者という計算に
なる。」
(ウィキペディアより)

とにかく本土から香港に住居を求め、自由を求め移り
たかった人が88万人いたということですね。

観光は2380万人(2012年)というから、最近の日本に
訪れる数とほぼ同数がこの狭い地域に集中している
ことになります。

観光ではいいけど、ちょっと住むのはつらいかな・・・と
いう感想ですね。光と影、天国と地獄が共存していると
ガイド氏は言っていましたが、まさに混沌としている人間
の根源のエネルギーがぶつかり合っているという感じ
で、これも刺激にはなります。

漢字は本当にありがたいです。台湾でも感じましたが
この漢字を共有している国同士でなかなかうまくいかな
いものですねえ・・・

あと、道に迷い地図を見ていると、現地の人は親切に
話しかけてくれるシーンが度々ありました。日本でも
同じことを外国人にしてあげたくなりました。

人口密度、観光、資源、貧富の差といった目線で見てみ
る今回の旅でした。

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司馬遼太郎展

わが愛する司馬遼太郎さん没後20年
「21世紀の”未来の街角”で」がそごう美術館で
開催されています。(6.2~7.9)
司馬遼太郎ファンとしては観に行くしかありません。
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なかなか作家の展覧会というのは展示が難しいものだと
思います。ファンとしての切り口が様々だからでしょうね。

自分の好きなジャンルへの時間を割くことができるのも
今の環境のなせる業です。

家族・仕事の割合が大きかった今までが「チェンジ」して
「自分の好きなことをやっていいんだよ!」と言われても
うまく適応しようと思い過ぎてもストレスになります。

今までの延長線上を望むなら、フルタイムで働けばいいし、
いろいろ選択肢がある中で、私は「自分、家族、仕事」の
バランスで、仕事の割合を大幅に減らす生活を選びました。
選んで3か月経過しました。珍しい、うれしい、物足りない、
少し落ち込むいろいろ日替わりの混合した気分で過ごして
きました。

自分の気持ちに素直に生きていけばいいのであって、
他人から見てカッコいいと思われようなどと考えない方が楽
だという結論に至りました。

さて、話を戻して本展示の主題は「21世紀”未来の街角”で」
に戻ります。

Dsc_1869

「日本人とは、日本の国とは何か、と考え続けた作家司馬
遼太郎が72歳で亡くなってから20年がたちました。「関ケ原」
「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「この国のかたち」「街道をゆく」
など遺された作品の多くは今なお読み継がれています。

本展では、次代を担うこどもたちに書いた「二十一世紀に
生きる君たちにへ」に通じる未来の街角を会場にすえ、この
街角に立てば、「司馬さんにあう」、「作品にあう」ことができ
るでしょう。

相模の国を治めた北条早雲を描く「箱根の坂」や「竜馬が
ゆく」「峠」あるいは「街道をゆく 横浜散歩」で描かれた横浜
の街・・・・・・思い思いのメッセージを受け取ってもらえば、と
願っています。」(パンフより)

司馬さんの戦国、幕末維新の作品が多く読まれています。
維新から明治の時代は欧米列強の圧力の下、「日本」という
国家意識が「圧搾空気」としてあったから、現代の日本の
形が作られていきました。一等国の仲間入りをし始めた頃から
だんだん変質・劣化し、敗戦、戦後の経済復興と続き、再び
再興、停滞というサイクルを繰り返しているようにも思います。


最後に「今後の日本」「二十一世紀の日本」やそれを担う子供
たちへの司馬さんの強烈な思いにつながっていくと感じます。

それらの思いが後半の作品「この国のかたち」「街道をゆく」
の中に司馬さんの「思い」を強く感じることができ、共感する
ものです。

そして、展示の最後に「二十一世紀に生きる君たちへ」に
が掲示され、結ばれていくものです。

デモクラシーや資本主義が劣化していく中で世界情勢が大き
く変化する二十一世紀前半に人生後半から終盤を過ごす私と
しては考えさせられるものでもありました。


Dsc_1808

(わが家で梅雨に蒸し暑いころ花を咲かせてくれる
   のうぜんかずら む~とする季節の定番で
      今年は多くの花をつけてくれました)

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