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高校同窓会

この年齢になると同窓会等懐かしの会合に出ようか
と思うことも多くなってくると思います。私はプロフィー
ルにもあるように広島の高校を卒業しました。
この数年出ているのですが、近畿支部の同窓会に
参加しました。

記念講演は私より10年若いプロゴルファーの田村
尚之さんでした。氏はウィキによると以下のプロフィ
ールです。

「3歳からゴルフを始め、中学時代に関西ジュニア
優勝。しかし、進学校に進んだため勉学を優先した。
東京理科大学工学部時代は競技には出場せず
卒業後、地元大手企業のマツダに就職。競技ゴルフ
の再開は社会人3年目だった。広島県アマチュア
選手権で優勝し、それが地元新聞に報じられ名前が
載ったことで上司が理解を示し、また周囲の勧めも
あって有休を利用して1990年から日本アマチュア
選手権に出場するなどトップアマとして活躍、同大会
には17年連続出場中。

2001年家庭の都合でマツダを退職。親族が経営
する鉄鋼関係の会社に移りサラリーマンを続ける。
平日は仕事終了後、トレーニングジムに通い週末
にラウンド。2000年の中国アマゴルフでは谷原秀人
の四連覇を阻止。日本ミッドアマチュアゴルフ選手
権で唯一の二連覇(2002年、2003年)。2005年、
2006年日本アマチュア選手権二年連続ベスト4で、
日本協会ナショナルチーム(日本代表)メンバーに
選ばれ、2006年ドーハアジア競技大会出場(主将)、
男子団体4位。またプロのツアー競技でも時折上位
進出を果たし、1994年日本オープンローアマなど
数々のタイトルを獲得する"中年の星"。

石川遼の出場で注目された2007年7月日本アマチュ
ア選手権では、若手選手を次々破り初の決勝に
進出。マッチプレーが復活した2000年以降では
最年長43歳での進出。しかし準々決勝、準決勝を
1日で40ホール、さらに翌日の決勝も史上最多の
41ホール(従来の記録は1929年、38ホール)、5日間
154ホールを戦い、最後は力尽き準優勝に終わった。

これまでプロテストを受験したこともなく、コーチに
師事したこともない。スイングも自己流。今後も仕事
とゴルフを両立させる予定という。

日本ゴルフ協会のナショナルチームメンバー。呉カン
トリークラブ所属時の2013年8月30日 プロテストに
合格しプロゴルファーとなる。2014年に取引先である
株式会社ダイクレとスポンサー契約を締結。」

・ゴルフ理論
以上の面白い経歴。スイングも独自の考え方で
グリップは右腕(手)が左腕(手)の先になることから
(右打ちの場合)肩と手の三角形が崩れるので、
二等辺三角形の中心より本人側からみて右に
ずれることから、ボールの位置はやや右がよいと
いいます。(ごく一般の理論は左足かかとの前方
というのが浸透しています。東京理科大卒の技術
者らしい観察眼。常識にとらわれない考え方も
いいですね。かつ、スイング理論も有名プロの
発言に結構影響されるともいいます。

パットは効目がどちらかが大事。右なら一般グリップ、
左なら左手を下にするクロスハンドがいいのでは
とアドバイス。パットに悩む私は早速取り入れて
見ようと思います。(効目は左)

プレッシャーが掛るときは、影響を受けやすい
親指と人差し指の動きを封じるようにするとよい。

・生きかた
倉本昌弘プロを若い時見て、このレベルにはとて
も叶わないとプロの道をあきらめ、アマで勝負する
道を選んだが、50歳を前にした時、倉本プロとの
対談をして「今からでもプロとしてシニアに挑戦
しないか?」と言われ、迷い迷って一度だけ挑戦
したのが切っ掛け。「信念の人」という伝説ではなく
迷いながらも、いろいろな出会いに影響されながら
も前に進むという印象で親近感を持ちました。


Dsc_1086

(12月初旬の快晴の冠雪富士山を新幹線より眺む)

Dsc_1077


(那覇空港南の瀬長島の海岸。最近豊見城市が
 リゾート風に開発。着陸寸前の飛行機が小さく
 見える)

Dsc_1080

(移動中に観る普天間飛行場。右にはオスプレイが
 10機以上駐機。そのプロペラ音は重低音な振動が
 伝わってくる)

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