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「自分という奇蹟」

生き方について多くの著書がある五木寛之氏は定期
的に巡回することにしています。最近の9月に出版さ
れたPHP文庫を読みました。内容の項目は以下です。

・悲しみは、人間の細胞を活性化する
・「慈」と「悲」がともに存在するやさしさ
・「青い鳥」は自分で作り出すもの
・相手の痛みを自分のものと感じること
・水澄めば顔を洗う、濁れば足を洗う
・心から泣くことで、本当の喜びを知る
・免疫は「自己とは何か」を知っている
・「明るさ」一辺倒で走ってきた限界
・痛みも悲しみも学んでいくもの
・存在するがゆえに、われ思う

以上からも推測されると思いますが、五木さんは
ポジティブシンキングだけが正しいとする世のとらえ
方の平易な面を危惧しています。このブログも人生を
前向きにとらえ充実させていきたいというテーマで一貫
して書かれています。
しかし、生身の人間常に前向きで、弱音や後ろ向きの
姿勢は一切まかりならんと言われてしまうと逃げ場が
ありません。時に絶望し、弱り切った状態に「頑張れ!」
とだけ言われると、死に追い込むことにもなりかねない
ことは周知のことです。
私もかつて同じように「常に前向き」問題で悩んだこと
があります。そういったときに「ネガ出し」という言葉に
出合い、救われたことがありました。ネガティブな気持ち
を思い切り、日記や何かに書き出してこのことは一体
どんなことなのかを見て冷静になってみるわけです。
その中から自分の力でコントロールできることとそうで
ないことに分けたりすると楽になります。

以下慈悲についてはとてもいい話になっています。
慈悲という言葉があります。「慈」と「悲」に分かれて
います。「慈」と「悲」は非常に似た意味の人間に寄せ
る愛情であり、ヒューマニズムではあるけれど、現れ
方が違います。「慈」というのは前向きでプラス思考
なのです。「さあ、立ち上がって、この手につかまって
一緒に歩いていこう。そして、あの高い山の頂に向か
って前向きに進んでいこうじゃないか」といいうような、
非常に積極的で明るい励ましのことを「慈」といいます。
「慈」は光なんです。

ところがもうひとつの「悲」のほうはわかりにくい。「悲」
というのは古いインドの言葉では「カルナー」といいま
すが、「思わず知らずに身体の底からこみあげてくる
うめき声のような感情」という解説になっています。
相手の痛みが自分の痛みのように感じられるという
ことなのです。前向きしか許されないと、この悲の感情
を押さえつけてしまいます。しかし、世の中にはどう
しようもない、励ましではよくならないことも存在しま
す。私にも実感があり、先日まだ20代の息子さんを
自らの死を選んでなくした人に向かうとき、言葉を
完全に失ってしまいました。こんな当人の感情は、
「「悲」によってしか癒されない心」とでもいうべきで
しょうか・・・

こんな五木さんの「慈悲」の部分はとても心に染み入
りました。積極的で肯定的な人生の選択は、ネガティ
ブなものと表裏一体であることも忘れてはならない
ことです。そんな危うい状態に自分自身は存在して
いると心得ることで奢ることなく謙虚で自然体な毎日
を送ってみたいと思ったのでありました。

時々の「五木巡回」で深く掘り下げてみることは私に
とってよい習慣だと思っています。

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