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週末の台北

3月の初め、週末を利用し台湾に行ってみました。
台北市内観光でしたが、親日的雰囲気と活気が
印象に残りました。おしゃべりなガイドさんによる
台北市民事情が大変面白かったです。

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中正紀念堂といい、「中正紀念堂は、中華民国の初代
総統である蒋介石を顕彰し1980年に竣工した。中正
紀念堂の「中正」とは蒋介石の本名である。

蒋介石が1975年に死去した際、行政院(日本の内閣
に相当)は全国民の哀悼の意を表すことを目的とする
紀念堂の建設を決定し、同年6月26日に14人の政治
家、文人、実業家からなる中正紀念堂建設委員会を
設置した。」

やはり蒋介石総統が始め地域でありますな。

写真にはないのですが、故宮博物館は外せません。
一般には目玉は肉、野菜、鍋といって石の豚肉、白菜
に似た美しいものです。鍋は鼎に初期の漢字がたくさん
書き込まれたものです。これらはすぐおさえました。
一時間という超限られた時間なので後の時間は磁器
を観ました。何度でも来たいという気にさせます。

夜の食事はガイドさんに教わったディン・タイ・フォン
信義店の小籠包を少しづつ出してくれるコース
(700台湾元)がよかったです。
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九份(キュウフン)観光も見逃がせません。今回はナイト
ツアー。長くなりますが生い立ちが大事なので引用。
「九份という地名の由来はいくつかある。
台湾語では一般的に「九份」とは「開墾した土地の持分
を9人で分けたもの」の意。 清朝初期に9世帯しかなく物
を買うときにいつも「9つ分」と言っていたことから、とも
いう。

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その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀
末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、
日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。
九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめて
おり、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家
(料理店)などの建物が多数残されている。

しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年
に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々
から忘れ去られた存在となっていた。

1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面
から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市
(A City of Sadness)』(侯孝賢監督)のロケ地となったこと
により、九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じ
て、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せら
れた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも
取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブーム
が起こった。


宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったと
いう噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったが、
ジブリ・宮崎により公式に否定されている」

しかし、写真の建物はいかにも湯婆婆がでてきそう・・・

夜店は台北の名物、とにかく活気があって楽しい。
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ガイドさんによると台北はシンガポール並みの物価?だ
が、タクシー、食べ物、マッサージは安い。共働きなので
8割の女性は食事を作らない。だから、食事の店が多い。
そういった話を聞くことが格安ツアーの面白さかもしれ
ません。


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