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2014年3月の投稿

2014/03/24

シンクロ奥野史子さん

前回に続いて講演シリーズ。シンクロの奥野史子
女史。先日ある得意先のイベントで聞きました。
多くの人がバルセロナソロ・デュエット銅メダリスト
であることはご存知だと思います。また北京の
4×100mリレーの銅メダリストである朝原宣治氏
の妻であることも有名ですね。同志社大学の同級
生であることも・・

「私とシンクロ~オリンピックイヤーに思うこと」と
いうお題です。京都の呉服屋さんの三女で育った
史子さんは小さい時分にたまたま当時珍しかった
シンクロ教室に通い、井村雅代コーチに出会います。
84年から五輪正式競技となっていたシンクロ。
井村コーチは「限界を作らない」「妥協しない」「何人
敵があってもめげない」人に鍛えられた。

前回の古賀さんと同様、中学時代に目標設定を
されて練習ノ―トを付けてコーチに添削される日々。
同じですね~。井村コーチとの出会いで以降の道
を進みます。92年の銅メダル後、93年の世界選手
権で4位に甘んじます。競技採点の基準の違いに
も悩まされます。(上村愛子さんを想起させます)
テクニカルからアーチスチックに力点が移ったよう
です。

そこで、94年の世界選手権において伝説となった
「夜叉の舞」が生まれます。覚えておいでの方も
多いと思いますが、にこやかな演技と異なり、女の
情念を表わす迫真の演技です。ここで、芸術点満点
を取り、2位に入ります。ここが彼女の競技人生の
クライマックスだったようです。

彼女は同じ採点競技であるフィギュアスケートの麻央
ちゃんのソチ五輪を興味深く観ていたそうです。SP
では下位になり、フリーで人に感動を与える演技で
世界中の人を魅了しました。オリンピックは魔物が
住むといいます。メダリストとそうでない人との違い
はトコトン。そういう五輪、「チャレンジャーでいられる
こと」がいかに大事かがあらわれるといいます。井村
コーチがすごかったのは、選手を「マスコミからシャット
アウト」「上を向かせる=守りに入らない」「とことん追
いこんで練習させる」ことを徹底させていたそうです。

いかに人に感動を与えることが大事かを「夜叉の舞」
で悟ったそうです。今までは勝つためだけにやってき
たと最後になって分かったと。共感するものがあります。

ちなみに、シンクロ選手は一日5,000キロカロリーを
消費し、食べないとどんどん痩せてしまいます。水中
で効果的に浮力を得るには、釣りの浮のような真ん中
(お腹)が膨らんでいることがよいようで、そのために
脂肪を付けようとケーキを無理に食べていたそうです。
驚きです。また、あの鼻栓(ノーズクリップ)は外れた
時のために常に2つは予備を水着に挟んでいるとの
ことです。息つぎは厳しく、演技の関係上苦しいから
と途中で水面に上がることは許されません。時には
失神するとこともあるらしいです。

その後の彼女の生きるコンセプトは「アーチスティックな
シンクロ」で、シルクド・ソレイユにも所属して今日に
至っています。現役の体験が一生の生き方に影響する
ことをここでも見つけました。

いずれにしてもすさまじいスポーツですね。
Dsc_00681

(ハクモクレンの花芽 いよいよ春ですね)

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2014/03/09

古賀稔彦さん

バルセロナオリンピック(1992年)柔道71キロ級に
おいて金メダリストの古賀稔彦さんの講演を聞く
機会がありました。久々に講演モノをお届けしま
す。

先日ある会合で話を聞きました。柔道は4年に
一回オリンピックに注目が集まりますが、普段は
話題にならないということです。確かにそう言わ
れれば・・・さらに驚きの事実が・・・柔道人口で
す。一位はブラジルの60万人、二位はフランス
の55万人、日本は22万人だそうです。競技人口
としては世界三位のスポーツ。びっくりしますね。

バルセロナに先立つソウルオリンピックにおいて
当時二十歳の古賀選手は金を期待されながら
3回戦で敗退、マスコミのもてはやしから一転
無関心という中で、引き籠り状態でテレビを観る
と3回戦敗退のシーンで試合終了後、観戦の
両親が観客席に向かって頭を下げているシーン
が映り、ハッと気が付いたそうです。自分だけ
が悲劇の主人公だと思っていたが、今まで応援
してきてくれた多くの人がいたことを・・・

その後96年アトランタの銀メダルの後、2000年
に現役を引退した時、死ぬまで柔道と関わろう
ということで「古賀塾」を開設。
http://www.kogatoshihiko.jp/

その後指導者として谷本歩を育成に大会連続
金メダルにつなげます。この時のポイントをご紹
介します。これが今回の講演の主題。「自分で
問題を解決できる人間の育成」となります。

     ■■■問題解決能力■■■
自問自答「弱い時分から強い時分へ質問する」
そして、その答えを実行に移しなさい。

小さな課題を解決し続ければ大きな結果へ。
小さな課題を放置すると大きな課題に発展する。

その時に指導者は「前を向いて安心して走りな
さい。振り返れば先生はいるよ」

     ■■■プレッシャー■■■
期待を背負う瞬間が大切。覚悟、決心ができる
か否か。自分ではなく誰かのためにと思う時に
精神力が生まれる。プレッシャーを自分の力に
変えることができる。

いい言葉ですね。分かりやすく考え抜いた蓄積
が滲み出ている名言だと感じます。柔道の開祖
加納治五郎氏の言葉で締めくくられました。

「勢力善用 自他共栄」

<夜景三題>

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(ソウルタワー)

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(ソウル駅)

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(漢江にかかる橋)

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2014/03/02

ソウル事情

2月上旬いまや恒例となった感があるソウル観光に
行ってきました。最も寒い時期で中国の春節が終わ
かけるころが狙い目です。韓国はご承知のように国
同士は難しい状況になっています。日本の観光客
は減り続け、中国からの観光客がソウル市内に溢れ
かえっていました。現状を実感するものでした。
店員は中国語、日本語、英語を使い分け忙しそうで
した。

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(漢江クルーズ 雪が降り寒いですが、今年は全般
 暖かく、凍結はありませんでした。斜めの線は雪)

今回は世界遺産の観光です。「18世紀末に李氏
朝鮮第22代国王・正祖が老論派の陰謀により
非命に倒れた父(思悼世子)の墓を、楊州から
水原の顕隆園(隆陵)に移し、その周囲に城壁や
塔、楼閣や城門を築いて防護を固めた。これが
華城である。当時の朝鮮の城塞建設技術の粋
を集め、そこに西洋の技術をも合わせたのは、設計
を行った朝鮮後期の実学者・丁若鏞の功績で
あった。華城建築には、1794年から1796年まで
2年を越える月日と37万人の労力が投入された。
華城は老論を排除し実学を重視した正祖の理想
都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、
華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送
られた」(ウィキペディア)

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(水原華城 長安門)

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(東北空心土郭 敵の監視台 雪が降ったばかりで
 非常に寒く写真の雪を踏みしめて歩いた)

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(武芸24技公演 真剣を使うため迫力がある)

食はサムゲタン、生きた鮑をすぐ料理したお粥、
サムギョプサル等を堪能しました。
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ソウルツアーで面白いのはガイドのおばちゃんが
オシャベリでソウル事情が聴けることです。たとえ
ば、韓国でキムチが発達したのは、日本みたいに
ご飯そのものが美味しくないから、日本の直島
(香川県)が大好きで自分にとってのパワースポット
だとか、子どもの塾代がべらぼうに高いとか、ソウ
ルの車のナンバープレートの形は二種類から選べ
車を変えてもナンバーは持っていけるとか・・・様々
な些細なことがかえって面白いものです。

大阪への帰路は1時間15分ぐらいの国内線並みの
近さでありながら、民間交流も減少している現実
は考えさせられるものがありました。

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