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2013年8月の投稿

2013/08/18

立山・黒部(下)

前回に引き続き夏休みツアーの二日目です。
白馬ハイランドホテルからバスで扇沢まで行きます。
1433mです。
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ここからの黒四ダムへ資材運搬トンネル(大町トン
ネル、現在関電トンネル)がいわゆる破砕帯と呼ば
れる断層に沿って岩石が破壊された帯状の部分を
通ります。大町トンネルの入り口から2600mの地点
から80mに亘って7カ月苦闘した部分を通ります。
「黒部の太陽」の肝の部分です。環境に配慮した
トロリーバスで通過します。
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抜けると1470mの黒四ダムです。夏には放水をして
います。虹が出ていて出色ものです。
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さらにケーブルカーで黒部平(1828m)へ上がり、
振り返ると黒部湖です。
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ケーブルカーへの待ち時間DJポリスならぬ、DJ
コンダクターの説明が揮っています。ケーブルカー
はケーブルが下だから、「ケーブル下」、ロープウェー
はロープが上だから「ロープ上」だって・・・。
でも待ち時間の退屈さを見事に?補っていました。

さらに、途中に支柱のない立山ロープウェー。上がると
大観峰2316mです。さらに立山トンネルトロリーバス
で10分3.7キロを走ると2450mの室堂です。ここは
高山植物の宝庫。しばらく見て歩きます。

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(高山植物のチングルマ これでも草ではなく木
 なんです。可憐な花です。)

そこから美女平(977m)へバスで下りますが、途中で
雪の壁、5月ころ15mにはなるものですが、なごりで3m
くらいのものがこれ。

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立山は「立山信仰」に支えられてきたものです。
「立山は神仏混淆であった。「今昔物語」の立山
地獄説話には観音菩薩・地獄菩薩が現れ、また
帝釈天が衆生の善悪をかんがえ定めたとある。
後になると阿弥陀如来を中心にして不動明王を
加えた形となってくる・・・・」(立山黒部物語より)
人々の信仰の対象になる峻厳さと崇高さを感じ
させるものであることはよくわかります。今は
立山黒部アルペンルートで気軽に上がることが
できますが、古くは富士山、加賀の白山とともに
日本の三霊山として神仏習合の立山信仰として、
明治以降は近代国家として文明社会として神仏
分離、女人禁制の解除、近代登山、昭和には産業
用の電力開発へと推移してきた歴史も一緒に
観ておかないといけないですな・・・

爽やかな高山の空気、植物、トンネル内の冷気
猛暑の下界とは異次元空間にすっかりリフレッシュ
することができました。これも先人の気迫に満ちた
努力の賜物であることを忘れてはなりません。

大阪に帰ってくると猛暑日戻ります。トホホ・・・


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2013/08/11

立山・黒部(上)

今年の夏休みの目玉は大阪出発の「立山黒部アル
ペンルート」(一泊二日)ツアーへの参加です。かな
り前から行きたいと思っていてやっと実現しました。

まず、大阪駅からサンダバードに乗って金沢に行き、
そこからバスで宇奈月温泉駅にたどり着きます。
ちょっと天候は不安定で心配していました。雲はある
ものの雨は免れています。

そこに関西電力の黒部川電気記念館があり、黒四の
前の時代の戦前からの電源開発の歴史が展示され
ています。何とタカジアスターゼで有名な高峰譲吉
博士がアルミ精錬のために電源開発したのが始まり
でした。

いよいよ黒部峡谷トロッコ電車です。宇奈月から黒薙
(宇奈月へ源泉を提供している)を通って鐘釣までお
よそ2時間の往復です。

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(宇奈月駅に待機する電気機関車 重連)

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(後曳橋 急峻な開発を物語る 後ずさりするから来て
 います)
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(出し平ダム 宇奈月ダムの次にできた初期のダム
 上流に第二発電所)
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(ねずみ返しの岩壁 ほぼ垂直の崖 当時の苦労に
 思いを馳せる)

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(万年雪展望台 しかしほとんど溶けている 暑い!)

写真の連続ですが、爽やかな空気とレールの振動が
心地のよいものです。大正6年から始まる電源開発
昭和2年柳河原発電所、昭和15年黒部第三発電所、
昭和22年黒部第二発電所と次々に関西地区への
電力提供のために多くの労力と犠牲が払われてきた
ことを忘れてはなりません。そして、昭和36年の「黒部
の太陽」で有名な黒四ダムが運転開始します。さらに
その後も5つの発電所さらには来年新しく出し平発電所
が運転開始するそうです。今でもクリーンな水力発電
が新規開発されているとは知りませんでした。電力
問題は国の根幹ですね。

そして、宇奈月からバスで糸魚川経由で険しい姫川
沿いに峡谷を国道148号を南下し白馬村はくば駅の
近くの白馬ハイランドホテルの泊りました。後立山が
眺望できる温泉は秀逸です。一日目はここで終わり
ます。

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(後立山三山が見えました。珍しいそうです。)

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2013/08/04

平和の礎

沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」
を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国
籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡く
なられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和
の礎(いしじ)」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を
記念して1995年6月23日に建設されました。(県ホ
ームページより)

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前から訪ねようと思っていたところ機会があり、休暇
を取り、実現しました。沖縄戦でなくなった20余万の
人々全員の名前が刻印され、その重みを無言で
訴えるものがありました。

続いて沖縄県平和祈念資料館へも立ち寄りました。
五つの室から構成され、以下資料室の案内から引用
します。
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第一室「沖縄戦への道」
沖縄戦に至るまでの沖縄の歴史や戦争がなぜ起こ
ったのかを展示

第二室「住民が見た沖縄戦「鉄の暴風」」
沖縄戦において、日米両軍は、総力をあげて、死闘
をくり広げた。米軍は物量作戦によって、空襲や
艦砲射撃(かんぽうしゃげき)を無差別に加えおび
ただしい数の砲弾を打ち込んだ。この『鉄の暴風』は、
およそ3ヶ月に及び、沖縄の風景を一変させ、軍民
20数万の死者を出す凄まじさであった。

第三室「住民の見た沖縄戦「地獄の戦場」」
日本守備軍は首里決戦を避け、南部へ撤退し、出血
持久作戦(しゅっけつじきゅうさくせん)をとった。
その後、米軍の強力な掃討戦(そうとうせん)により
追いつめられ、軍民入り乱れた悲惨な戦場と化した。
壕の中では、日本兵による住民虐殺や、強制による
集団死、餓死があり、外では米軍による砲爆撃、
火炎放射器などによる殺戮があってまさに阿鼻叫喚
の地獄絵の世界であった。

第四室「住民の見た沖縄戦『証言』」
沖縄戦の実相を語るとき、物的資料になるものは
非常)まわしい記憶に心を閉ざした人々の重い口から
、後世に伝えようと語り継がれる証言の数々は、歴
史の真実そのものである。

第五室「太平洋の要石(かなめいし)」
沖縄の戦後は収容所から始まった。その後、米・ソ
を軸とした冷戦構造の中で軍事基地として強化され
てゆく沖縄。土地を奪われ、さまざまな抑圧を受けて
きた住民の怒りは、島ぐるみの土地闘争や復帰運動
へと広がって行く。東西冷戦が終わった今もなお、
世界各地にくりひろげられる民衆の悲劇。沖縄の
教訓は、平和の要石を通して世界へ発信される。

沖縄返還までの戦後はあまり知る機会が少ないの
ですが、今回は第五室で沖縄の戦後の一端を垣間
見ることができました。五つのコーナと資料館の
建物や紺碧の海、空の美しさとのコントラストが印象
的でした。

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