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坐摩(いかすり)神社

私たちの姓の由来というのは様々ありますが、渡辺
のように比較的分かりやすいものもあります。その
原点が坐摩(いかすり)神社にあります。
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渡辺の地の由来でもある大阪にある渡辺津です。


以下ウィキペディの紹介です。

・渡辺津から始まる
渡辺津の守護神 創建時の社地は現在と異なり、
渡辺津・窪津・大江などと呼ばれたかつての淀川
河口である。旧社地は遷座後に御旅所が置かれ
た現在の中央区石町(こくまち)に推定され、天神
橋 - 天満橋間の南、近世以降「八軒家」と呼ばれ
る地に概ね該当する。

・源綱が始祖
平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱
(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を
名字とし、渡辺氏を起こした。渡辺綱の子孫は
渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地する
ことから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海
の水軍の棟梁となる。

・現在の地に遷宮
天正11年(1583年)の大坂城築城に際して、西横堀
川に近い現在地に遷座した。本町通にも近く、多くの
物売りや見せ物が門前に集まった。特に古着屋は
「坐摩の前の古手屋」として名高く、上方落語にも「古
手買」「壺算」などで登場する。また初代桂文治が始
めてこの神社で寄席を開いたとされている。この神社
の近くで後の「そごう」が古手屋として生まれ、船場
が繊維の町として発展するきっかけになった。また
西横堀川沿いには陶器問屋が並んだが、当社の
末社に陶器神社があることによる。

・「渡辺」地名の保存運動
所在地の現在の町名は「久太郎町四丁目渡辺」と、
番地ではなく「渡辺」となっている。神社と氏子が
渡辺津から移転してきたことで、江戸時代から既に
「北渡辺町」「南渡辺町」という町名になっており、
1930年(昭和5年)に「渡辺町」となった。

しかし、1988年(昭和63年)に旧南区・東区の統合
に伴う地名変更の際、「渡辺町」は統合されて消え
ることとなった。そこで、渡辺姓の末裔で作る「全国
渡辺会」が渡辺の名のルーツである渡辺町の消滅
に対し反対運動を起こした。結局市は苦肉の策に
より、丁目の次の街区番号に「渡辺」の名を残すこと
で決着をみた。
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現在旧伊藤忠本社の近くにある坐摩(いかすり)神社
は渡辺のルーツであり、非常に親しみを感じます。
節分にあたるこの時期に一年の締めくくりと本格的に
癸巳が始まる一年の安全を祈念するためにお参りし
ました。そうすると第58代当主の渡辺さんがどこかの
企業の祈願の儀を取り行っていました。

全国112万人強の渡辺さんは全国第6位に多い姓
ではありますが、ルーツに当たるこの神社や「全国
渡辺会」なる会があることを知ると心強くなり、大阪
に現在住んでいる縁を感じたりもします。

さて、明日立春からの1年、豆を食べて気持ちを新た
に迎えましょう!

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