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福翁自伝(上)

日頃読みたいと思っているけれどもなかなか手が
出せない本というのがありますね。かつて「ドン・
キホーテ」もそうでしたが、2009年に読むことが
できました。(拙ブログにも登場)今回は福沢諭吉
翁の自伝です。

一万円札でも時々お目にかかる(できるだけお目に
かかりたいですが・・)人物であり、慶應義塾大学
の創設者でもあり、我が国においては非常に有名な
人物ですね。

「福沢諭吉の父は豊前中津奥平藩の士族福澤百助
母同藩士橋本浜右衛門の長女、名をお順と申し、
父の身分はヤット藩主に定式の謁見ができるという
のですから、足軽よりは数等よろしいけれども、士族
中の下級・・・大阪にある中津藩の倉屋敷に長く勤番
していました。」

兄弟は幼いころ大阪で暮らし、中津藩の本拠中津に
戻っても言葉、習慣が異なり馴染めません。さらに
父は下級士族で金勘定よりも学者になりたいけれど
もどうにもならない、末に生まれた諭吉は上位に
いかせるには僧侶しかないと考えていたが、早逝して
しまいそのことを母から聞かされるということがあった
そうです。そこで、僧侶にはならぬけれども学問を
志そうと14,5才で思い立ったそうです。

漢学の世界では物足らず19才の時長崎に遊学し
横文字、蘭学の出会います。兄が亡くなり家督を
相続することになりますが、母に頼み大阪の緒方
洪庵の適塾に医学の塾に砲術修行の願書で蘭学
の築城書の写しで入学。適塾はバンカラそのもの
で私には旧制高等学校のような気風で勉学軸だ
けはひたすら追求するがあとはハチャメチャという
雰囲気を感じます。

ここまでで共感することをまとめると、

(1)「名を成す」欲求はDNAとして父子へ伝わって
  いく
(2)転向のきっかけは習慣の違いを感じるストレン
  ジャー(外来者)であったこと。本拠地にこだわ
  らない発想(転校生の私には共感するもの多し)
(3)お家の事情のシガラミをしなやかに受け流して
  いく感性(神経質になりすぎない鈍感力)
(4)適塾の緒方洪庵翁のおおらかさ
(5)バンカラを生みだす土壌はこのころにあったの
  か・・私たちが育った昭和40年代までこの
  気風はあったと感じる(藩校由来の男子校
  だった私としては)

私の通勤路の緒方洪庵翁の墓のある寺があり
ます。大変気になりアップせずにはいられません
でした。
20120921054756


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