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2012年9月の投稿

2012/09/30

福翁自伝(下)

幕末から維新初期までは、動乱の時代です。福翁は
洋学を志し、新開地横浜の様子を見て蘭学から英学へ
転進していきます。翻訳を通じて多くの洋書を日本へ
紹介します。こんな人物は攘夷派や保守的な一派
からは常に狙われます。そんな心境を率直に語り
自宅の床下へ逃げ道を作ったり、常日頃から用心を
していました。標的は明治11年ころになると大久保卿
暗殺に代表されるように権力を確立していく政治家に
向けられていきます。

政治に対しては常に距離を置き、どんなに勧められて
も決して応じようとはしません。民間に身をおき、
「読書渡世の一平民」を貫き、維新戦争の当時も
慶應義塾は休みなく開かれていたといいます。政治
に対しても「政治の診察医にして開業医にあらず」
と当時始まったばかりの新聞をして帝国議会の開催
を世論に提起したりしました。

金銭に関しては著しく潔癖で「生涯借財をしたことなし」
といい、お金に対して心が揺らぐことを恐れて、どんな
時でも最悪を想定してこだわらずとされています。

家族を大切にし四男五女の9人を育て、妻錦(きん)
と仲睦まじく、留学した息子とは船便の度に手紙を
やり取りし、三百何十通ものやり取りをしているよう
に家族を大切にしています。

一方立ち上がるときは早く、榎本武揚助命の行動は
素早く、人情、義侠心の強さあり、一方慶應義塾の
三田の土地取得に対しては情に流されず、筋を通す
強さがあります。

一歩引いているように見えたり、頑として筋を曲げぬ
ところあり、何ともこだわらぬところありで、捉えどころ
のない感じもしますが、他人にどう思われるとかを
気にせずわが道を行く「したたかさ」「しなやかさ」と
でもいうのでしょうか・・・

中津弁も混じった文章全体にユーモアがあり、権威
にすがりつく輩を茶化したり、使節一行で欧米に行った
ときの描写はまことに面白いものがあり夏目漱石の
それにも通じるものを感じます。

・生涯力を尽くす三か条

「人間の欲に際限のないもので、・・外国交際または
内国の憲法政治などについてそれこれという議論は
政治家のこととしてさておき、私の生涯のうちにでか
してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第
次第に高尚に導いて、真実文明の名に恥ずかしく
ないようにすることと、仏法にても耶蘇教にてもいず
れでもよろしい、これを引き立てて多数の民心を
和らげるようにすることと、大いに金を投じて有形
無形の高尚なる学理を研究させるようにすることと、
およそその三か条です。」

翁は明治34年、1901年、20世紀の最初の年に
68歳で亡くなり、正に激動の19世紀後半の功労者
といえるでしょうが、その後の20世紀は世界大戦の
敗戦国、戦後の経済復興と絶頂、バブルの崩壊、
政治の貧困、外交敗戦と21世紀の十年につなが
ってきています。正に翁の望む三か条そして
「独立自尊」の形が国家、個人に大きな課題として
続いていると共感するものですね。

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(翁の地元大分の料亭から海を臨む)

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2012/09/23

福翁自伝(上)

日頃読みたいと思っているけれどもなかなか手が
出せない本というのがありますね。かつて「ドン・
キホーテ」もそうでしたが、2009年に読むことが
できました。(拙ブログにも登場)今回は福沢諭吉
翁の自伝です。

一万円札でも時々お目にかかる(できるだけお目に
かかりたいですが・・)人物であり、慶應義塾大学
の創設者でもあり、我が国においては非常に有名な
人物ですね。

「福沢諭吉の父は豊前中津奥平藩の士族福澤百助
母同藩士橋本浜右衛門の長女、名をお順と申し、
父の身分はヤット藩主に定式の謁見ができるという
のですから、足軽よりは数等よろしいけれども、士族
中の下級・・・大阪にある中津藩の倉屋敷に長く勤番
していました。」

兄弟は幼いころ大阪で暮らし、中津藩の本拠中津に
戻っても言葉、習慣が異なり馴染めません。さらに
父は下級士族で金勘定よりも学者になりたいけれど
もどうにもならない、末に生まれた諭吉は上位に
いかせるには僧侶しかないと考えていたが、早逝して
しまいそのことを母から聞かされるということがあった
そうです。そこで、僧侶にはならぬけれども学問を
志そうと14,5才で思い立ったそうです。

漢学の世界では物足らず19才の時長崎に遊学し
横文字、蘭学の出会います。兄が亡くなり家督を
相続することになりますが、母に頼み大阪の緒方
洪庵の適塾に医学の塾に砲術修行の願書で蘭学
の築城書の写しで入学。適塾はバンカラそのもの
で私には旧制高等学校のような気風で勉学軸だ
けはひたすら追求するがあとはハチャメチャという
雰囲気を感じます。

ここまでで共感することをまとめると、

(1)「名を成す」欲求はDNAとして父子へ伝わって
  いく
(2)転向のきっかけは習慣の違いを感じるストレン
  ジャー(外来者)であったこと。本拠地にこだわ
  らない発想(転校生の私には共感するもの多し)
(3)お家の事情のシガラミをしなやかに受け流して
  いく感性(神経質になりすぎない鈍感力)
(4)適塾の緒方洪庵翁のおおらかさ
(5)バンカラを生みだす土壌はこのころにあったの
  か・・私たちが育った昭和40年代までこの
  気風はあったと感じる(藩校由来の男子校
  だった私としては)

私の通勤路の緒方洪庵翁の墓のある寺があり
ます。大変気になりアップせずにはいられません
でした。
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2012/09/08

崎陽軒のシウマイ弁当

私は仕事柄、新幹線に乗ることが多いです。車内で
食事をする時間帯で東京から大阪方面の場合、
好んで崎陽軒のシウマイ弁当(750円)を食べます。
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おなじみのパッケージに弁当の箱も蓋も木の加工
です。小学生の頃食べた感動がそのまま蘇って
きます。ひももそのまま嬉しいものです。
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中身も変わりませんが、昔はお醤油が「ひょうちゃん」
という愛称で陶器製でしたが、今は塩ビの一般的な
ものです。しゅうまいは5つ。からしをべったり塗って
食べます。小ぶりの鳥カラ、マグロの蒸し煮込み、
シナチクも適度な塩味で美味。たまごやき、カマボコ
一切れずつ。ショウガと昆布の細切り。ご飯が美味し
い。冷えても美味しく工夫をしています。さらには蓋
に付いたご飯粒を取って食べるのも楽しい。最後の
仕上げはドライ杏のデザート。私としては新幹線の
中に極上の時間です。

黄色のパッケージのつながりで、同時に入線してきた
新幹線の守護神「ドクターイエロー」さらには、沿線で
そろそろ稲穂が垂れる我が国の宝の水田(ピンボケ
ですが270キロの疾走に免じて)のイエロートリオ
で今週は「崎陽軒のシウマイ弁当」にちなむ三丁目
の夕日的ノスタルジー(あのころは皆貧しかったけど
明日に希望を持ち頑張っていて楽しかった的郷愁)
をご披露しました。
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(追伸)
ちなみに崎陽軒のシウマイ弁当にまつわる歴史です。
1908年 - 横浜駅(現桜木町駅)での営業許可を取得
1923年 - 合名会社崎陽軒を設立
1928年 - ホタテの貝柱を使って、冷めても美味しい
      「シウマイ」を開発・販売開始
1950年 - 宣伝のため横浜駅の構内に「シウマイ娘」
      を登場させる
1954年 - シウマイ弁当発売開始
1955年 - 「ひょうちゃん」が横山隆一により誕生
1967年 - シウマイの真空パックが完成(「真空パック」
       という言葉を使ったのは崎陽軒が最初)
2005年 - 地元横浜のサッカークラブ横浜F・マリノスに
      出資  (ウィキペディアより)
シウマイ弁当と私は同じ年生れ。やっぱり何かが違う
と思いました。

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2012/09/02

海賊とよばれた男

理恵さんコメントのお薦めで百田尚樹著の「海賊
とよばれた男」(講談社上下二巻)を読むことにし
ました。「永遠の0(ゼロ)」で徹底した調査とリズ
ミカルな文章にすっかり魅了されていましたので、
すぐに手配して出張中の時間も活用して読みまし
た。

あらすじは講談社のHPから紹介しておきます。
「ならん! ひとりの馘首(かくしゅ)もならん」――
敗戦の夏、異端の石油会社「国岡商店」を率いる
国岡鐡造(くにおかてつぞう)は、なにもかも失い、
残ったのは借金のみ。そのうえ石油会社大手から
排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひと
りたりとも馘首せず、旧海軍の残油集めなどで
糊口をしのぎながら、たくましく再生していく。
20世紀の産業を興し、人を狂わせ、戦争の火種と
なった巨大エネルギー・石油。その石油を武器に
変えて世界と闘った男とはいったい何者か――
実在の人物をモデルにした本格歴史経済小説、
前編。

敗戦後、日本の石油エネルギーを牛耳ったのは、
巨大国際石油資本「メジャー」たちだった。日系
石油会社はつぎつぎとメジャーに蹂躙される。
一方、世界一の埋蔵量を誇る油田をメジャーの
ひとつアングロ・イラニアン社(現BP社)に支配され
ていたイランは、国有化を宣言したため国際的に
孤立、経済封鎖で追いつめられる。1953年春、
極秘裏に一隻の日本のタンカーが神戸港を出港
した――。「日章丸事件」に材をとった、圧倒的
感動の歴史経済小説、ここに完結。後編。」

モデルは出光興産創業者の出光佐像三氏だそう
です。民族系の石油元売り会社くらいにしか知らな
かった私を恥じるものでした。日章丸事件で一民間
人が国益だけでなく大きな見地から一民間企業を
超え信念で行動し続ける圧倒的な「気概」に感動を
通り越した何かに突き動かされる気持ちになりま
した。この出光氏の生きかた、考え方は領土問題
エネルギー問題で揺れる今日、国、会社のあり方に
も大きな問題提起をしています。1956年大阪生れの
百田尚樹氏にはとても共感と同世代の親近感を覚え、
これから何かとフォローしていこうと思います。

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(シンガポールのシンボル2つ
 マーライオン&マリーナベイ・サンズ)


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