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2012年8月の投稿

2012/08/19

五山の送り火

さる16日に五山の送り火が京都で行われました。
送り火は「京の夏の夜空を焦がす京都の名物
行事・伝統行事。葵祭・祇園祭・時代祭とともに
京都四大行事の一つとされる
毎年8月16日に
「大文字」(京都市左京区浄土寺・大文字山(如意
ヶ嶽)。20時00分点火)
「松ヶ崎妙法」(京都市左京区松ヶ崎・西山及び
東山。20時10分点火)
「舟形万灯籠」(京都市北区西賀茂・船山。20時
15分点火)
「左大文字」(京都市北区大北山・左大文字山。
20時15分点火)
「鳥居形松明」(京都市右京区嵯峨鳥居本・曼陀
羅山。20時20分点火)
以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと
呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。」
(ウィキペディアより)

今年はたまたま左京区の大文字を鴨川沿いから見
ることができました。

所在地:京都市左京区浄土寺七廻り町(じょうどじ
ななまわりちょう)
山名:大文字山(だいもんじやま)。如意ヶ岳、如意
ヶ嶽とも呼ばれていた。
火床:75か所
大きさ:一画80m(45間・19床)、二画160m(88間・
29床)、三画120m(68間・27床)
保存会:浄土院の(元)檀家による世襲。
もともとは一帯の山塊を「如意ヶ嶽」と呼んでいたが、
現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字
山」と呼び、最高点である主峰(472m)を「如意ヶ嶽」
と呼ぶ。特に「左大文字」と区別するときは「右大
文字」・「右の大文字」ともいう。大の字の中央には
大師堂と呼ばれる、弘法大師を祀った小さなお堂が
ある。
登り口は、送り火の時にも使われる銀閣寺の北側から
のものが主ルート。
大文字山(如意ヶ嶽)の地元地域の人には、他山との
違いと尊称の意味も含めて、古くから山そのものを
「大文字さん」と呼ぶ人も多い。(ウィキペディより)

ご先祖さんの魂を送ることに参加した気分になって
きました。考えてみればご先祖様の誰一人として
欠けていたら私自身が存在しない大原則があり
ます。50才代後半ともなると今まで信心の薄いの
が一般的な戦後生れのわが身としても、少しずつ
自らの変化に気付いてきました。

このような行事を、日本人が大切にしてきたことを、
今更ではありますが、今からでも遅くないので考え
直し、わが身なりに取り入れていこうと思うものであり
ます。

歴史の古い近畿圏に住むことで、ありがたい機会が
増えたのかもしれません。感謝ですね。

(今年の大文字山)

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2012/08/11

日美展に入選

過去に色鉛筆絵を始めたことをブログに掲載
したことがありました。絵画には全国公募
「日美展・絵画部門「日美絵画展」という催し
があります。

今年で13回目を迎えました。公益財団法人 
国際文化カレッジというところが主催で、新聞・
放送各社が協賛して「生涯学習のユーキャン」
が特別協賛し、乃木坂の国立新美術館で
8月9日から18日まで開催されています。

私が応募した色鉛筆部門の「室生寺の初夏」
が入選して展示されることになってしまいま
した。

驚きです。ビギナーズラックもあるかと思います
が、とてもうれしい出来事です。他にも油絵、
水彩画日本画、パステル画、デッサン、絵手紙、
ちぎり絵があり非常に多くの絵心のある全国の
人々の絵が展示されていて迫力に圧倒され、
ガイドの索引なしには探せない有様です。

昨年五月に奈良県の女人高野といわれる
室生寺を訪ね感動したものを色鉛筆で伝え
ようとしました。

五月の強くなった日差しが杉の間に立つ五重塔
に降り注ぎ、新緑の黄金色の輝き、芍薬、
石楠花の薄紅色の華やかさと室生寺の静寂さ
が醸し出す世界です。
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色鉛筆は手軽で持ち運び便利、水で伸ばすこと
ができるタイプもあり、絵手紙、はがきにも応用
されるものでとても気に入っています。これから
も折に触れて色鉛筆を持ち一年に一度は作品
応募というサイクルも生活に取り入れていこうと
思います。

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2012/08/05

小説「永遠の0(ゼロ)」

猛暑の夏ロンドンオリンピックに寝不足の人も多い
ことでしょう。国のことを遍く感じる数少ない機会で
しょう。真夏は戦争のことを取り上げることの多く
なる季節です。なんと私の息子から勧められた本
が表題の文庫本です。百田尚樹著講談社文庫で
した。講談社のページからあらすじを引用します。

「日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく
口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦
パイロットがいた……。 人生の目標を失いかけて
いた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子
は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のこと
を調べ始める。
祖父の話は特攻で死んだこと以外何も残されて
いなかった。 元戦友たちの証言から浮かび上が
ってきた宮部久蔵の姿は健太郎たちの予想もしな
いものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常な
までに死を恐れ、生に執着する戦闘機乗り……
それが祖父だった。
「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた
男は、なぜ特攻に志願したのか?
健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって
封印されていた驚愕の事実にたどりつく。」

来年2013年に映画化されるとのことで楽しみです。
私の切り口で読んでいたのですが、どっぷり引き
こまれている自分自身弩とうのラストへと向かって
いきました。

海軍の作戦司令官の指揮の詰めの甘さ、消耗品
扱いの兵士と特攻作戦への系譜、作戦の主目的
の設定、集中と戦時の将校の評価、処遇、空戦の
実態を考慮しない作戦立案等々今の企業風土にも
あの時代と変わらない弱点を共感します。

また、宮部久蔵(主人公)の生への執着を勇気の
ない臆病者とののしる周囲の人、あの時代に生き
特攻の意味に疑問を持ち行動できた人は本当に
いたのだろうか?このことは永遠に分からないこと
だと思いますが、今の基準、価値判断で生き様を
単純に批判してはならないと強く思います。この
点も戦前戦後のジャーナリズムに対する作者の
鋭い切り込みに拍手喝采します。

ラストシーンでは宮部は550ポンドの爆弾を抱えな
がら近接信管(周囲に飛行物があれば爆発する
爆弾:太平洋戦争後半に大いに日本を悩ませ、
多くのベテランを失った技術、レーダーとともに
日本軍を追い込んだテクノロジー)が効かない
水面ギリギリの飛行の後機銃掃射にやられなが
ら、上昇背面飛行で甲板に突入、爆弾は不発だっ
たが、そのことが宮部の最後を目撃し、艦長は敵
ながらあっぱれと丁重に水葬したところで結ばれ
ている。とことん戦うことで、日米で幾つかの共感
が生れる・・・ 
思わず目頭が熱くなるものがあります。映画に
なったら感動を呼ぶものと思います。作者の迫力
に脱帽します。息子が読んでいたことも嬉しくなり
ます。こういう時代を経て今日があることを現代の
若者が知ることはとても大切です。

こういった究極の環境に追い詰められた時、人間
は何を考え、どう生き、どう死ぬのかを考えさせら
れます。大地震、巨大システムの崩壊等複雑化した
現代、実はいつどうなるか分からない覚悟が必要な
ことを3.11は現在の私たちに示唆しているのかも
しれません・・・


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(長崎県壱岐市黒崎砲台跡)

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