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2012年2月の投稿

2012/02/27

日野原先生の講演

先週「新老人の会」の日野原重明さんの百歳記念
の講演があり、聞きに行くことにしました。一時間程
でしたが、2011年現在47,756人いらっしゃる百歳以上
の方々の一人であるわけです。1953年では153人で
すので驚異的な伸びです。しかし、半数は寝たきり
状態というのも考えさせられますね。

さて、日野原さんの生い立ちですが、10才の時に腎炎
となり一年運動を禁止されました。その間に書道や
ピアノを習ったそうです。22才の京都帝国大学医学部
時には肺結核湿性肋膜炎となり、その間に五線譜で
音程を書き移し、作曲もできるようになったそうです。
それらのことが現在でも役立っているそうで、苦難も
恩寵と受け止めていくことが大事だと説きます。
恩寵とは神学用語で、英語ではグレースですね。神の
恵みと受け止めるというキリスト教的ですが、普遍的な
話でもありそうです。

(1)人間の行動のエネルギー源
 ①ある事件に会い眼がさめる(目からウロコ)
 ②あるモデルに会う(生きかたを学ぶ)
 <人との邂逅> <一期一会>
 ③環境が変われば新しい発見が起こる

(2)運命の一般的捉え方
 ①与えられたもの
 ②不可抗力のもの
 ③運が悪いという思い込み
 ベルグソン「道徳と宗教の二源泉」では「人類は自分
 の未来は自分の中にあると認識していない」という
 名言がある

(3)日野原先生の認識
 ①私の運命は私がデザインして作ろう
 ②ある人との出会いこそ新しい運命が作られる
というものです。自ら百歳まで現役でさらに使命を感
じてまだまだということで、「百歳は次のスタートライン」
(光文社)という本を出版して皆を元気づけてくれてい
ます。

「新老人の会」は75才以上の方々の会で60才以上が
準会員、それ以下がサポート会員ということで、二万人
を目指しているそうです。
<スローガン>
 ①愛すること Love
 ②創めること Commence
 ③耐えること Eenduce
<使命>
 ①子どもたちに命の大切さを教えること
 ②世界平和の運動を起こそう

ナマの日野原重明さんにお会いできたことは私たちの
大いなる長生きの目標を元気づけてくれましたね。


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2012/02/19

歴史の語り部

ある講演会で黒田美江子さんという講師で今年の
大河ドラマの平清盛にまつわるお話がありました。
黒田美江子さんは「1987年、姫路城を案内
するボランティアグループ「ひまわり会」を結成し、
秘められた魅力をガイドとして伝え続けてきた。
黒田は今、姫路城ガイドの後継者を育てる一方、
城の魅力を伝える講演などを年二百回もこなす。
2003年には「姫路の魅力を伝える活動」が評価
され、市教委の「姫路お城大賞」を受賞した。
「お城に元気のもとをもらい、人生の幅が広がった。
いくら恩返ししても、し足らない」(兵庫人ホーム
ページより)

プロフィールにまつわる話は後にして、まず内容
です。平家物語は登場人物が一千人を超える、
大変複雑な物語です。「平清盛は大成功した後に
大失敗する」ともいえます。清盛の二代前の平正盛
は白河上皇に誠心誠意仕える、その子忠盛は上皇
との関係を深めていきます。そのバックグラウンドに
は日宋貿易があり、北面の武士といわれてまだ低
かった武士階級の地位向上を図ります。さらに暗黙
の事実だった上皇の胤といわれていた清盛を後継
ぎと定め、天皇家のもめ事を収め大出世を成し遂げ
ました。全国の国司の半分以上を占める「平家にあ
らずんば人にあらず」と言わせしめ、天変地異による
利益源であった宋銭の価値が下がり苦しくなります。
没後わずか4年で滅びて、壇ノ浦に沈んでしまう物語
です。

わずか一時間でこの複雑さを説明するには、何か
ポイントを絞らなければなりません。その軸を平安
時代の天皇家の主導権の移りから武家の台頭とい
うストーリー。桓武天皇の天皇中心の政治から藤原
道長をはじめとした上流貴族の摂関家が牛耳る
摂関政治へ。さらに天皇家が復権し、上皇が実権
を握り白河上皇(伊東四朗役)が君臨する「院政」
となっていきます。その防衛軍であり古くは天皇家
と姻戚の平家と源氏が台頭し、上皇に取り入って
いき大出世するプロセスとして平清盛をクローズ
アップしています。

黒田さんの足跡は「50才以降の生きかた」にも通じ
るものがあります。さらに兵庫人のホームページ
から拾ってみます。
「きっかけは、姫路市教委が開いた姫路城の専門
講座だった。当時、市職員の菅原美文(よしふみ)
(71)から由来や建築について初歩から学んだ。

菅原は厳しく言った。「後輩の受講生を三回、案内
するように」。じっくり姫路城を見せて回るには半日
かかり、同じ人に三回語るとなれば相当な知識が
要求される。

黒田は、菅原の講義を漏らさずノートに書きとどめた。
録音した話を何百回と聞き、分からない部分は各種
の文献に当たって詳しく調べた。

しかし、実際にガイドをしてみると、予想しない質問
に言葉が詰まった。「お城のことだけを知っていても
駄目だ。背景に広がる歴史のつながりを知らないと」

力になったのが、お地蔵さんなどの野仏と俳句を
公民館講座で教えてもらった林比佐雄の存在だった。
姫路市内の小児科医で、独学ながら専門家以上の
知識を持っていた。膨大な識見とあふれ出る奉仕精神、
それに人の心を温かくする独特の雰囲気があった。
「人間って、こういうふうに生きられるんだ」―。林が
百一歳で亡くなるまで、薫陶を受け続けた。」

いかがでしょうか?好きなことを人よりよりたくさん
踏み込んで行動することで、感動を呼ぶことができる
ようになるんだということを伝えようとしていると感じ
ました。


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2012/02/12

エンデュランス号漂流

「1914年12月、英国人探検家シャックルトンは
アムンゼンらによる南極点到達に続いて、南極
大陸横断に挑戦した。しかし、船は途中で沈没。
彼らは氷の海に取り残されてしまう。寒さ、食料
不足、疲労そして病気・・・絶え間なく押し寄せる
さまざまな危機。救援も期待できない状況で、
史上最悪の漂流は17カ月に及んだ。そして遂に
乗組員28名は奇跡的な生還を果たすーー。その
旅の全貌。」(新潮文庫帯よりアルフレッド・ラン
シング著、山本光伸訳)

以前からずっと気になっていたシャックルトンの
物語。たまたま職場の同僚が持っていたので
借りることにしました。チリの炭鉱落盤事故、大平
洋戦争のガダルカナル戦、ニューギニア戦線、イン
パール作戦、満州引き揚げ等々究極の状態の
人々の姿は鬼気迫るものがあります。

エンデュランスは忍耐とか我慢を表しますが、まさ
にその名前の通りの旅でむしろ船は氷の圧力で
早々に崩壊、沈没むしろそれからがこの物語の
すさまじいドキュメントです。南極圏でなぜ17カ月
も生きていられたかは、アザラシやペンギンの脂肪
が鍵を握っています。燃料として28名の命をつな
いでいきます。持参した食料、装備を駆使していま
すが、アザラシ肉は男たちを支えました。零下20度
を下回る酷寒の氷上をどうやって生き抜き、移動し
流氷から非常用ボートに乗り移り、南極圏を脱出
して捕鯨基地のサウスジョージア島へたどり付きま
す。途中の島エレファント島に22名を置き、サウス
ジョージア島へ上陸時に3名を置き、最後は3名で
島の陸上を走破して基地に到着し、仲間を救援し
無事全員を救出します。

リーダシップの参考にと読み始めましたが、思わず
可能性ゼロの世界ではないかと絶望的な気分に
襲われます。全員救出と分かっているから読めます
が、この世のものとも思えぬ悲惨な状況に緊張の
連続に耐える精神力、体力と何とかなる楽観的な
考え方、自信がリーダのシャックルトンが皆に与えた
ものだと感じ、ただの感動を越えた何者かありました。

ただし、必要な物資、特に専門知識(航海術、凍傷
衛生の知識等)が裏打ちされていないと100%不可能
ですね。六分儀を使って南極圏の孤島であるサウス
ジョージア島にわずか10メートルに満たない船でたどり
ついた技術もすごいです。

隊長シャックルトンは経験者といっても陸上の専門家、
航海における専門家はワースリー船長でした。今回
リーダの一番重要な役割は決断はもとよりですが、
28人のメンバーを技量、性格を見抜いて、チーム分け
の人選にあるように思えました。実に慎重に時間をか
けて考えています。

<南極横断探検隊ウィキペディア紹介文>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%8D%97%E6%A5%B5%E6%A8%AA%E6%96%AD%E6%8E%A2%E6%A4%9C%E9%9A%8A

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2012/02/05

所作

日頃あまり使うことのない所作(しょさ)という言葉
最近気になることがあります。辞書で調べると、
[1] 〔専門〕 仏 身・口・意の三つのはたらきが現
   れること。
[2] なすこと。おこない。古くは、読経・礼拝などを
   いう。
[3] 仕事。生業。
[4] その場に応じた身のこなし。しぐさ。また、
   演技。 (大辞林より)

最近、サプリメントの錠剤をポロポロ落としてしまう、
室内でも歩くとあちこちにぶつける、飲み物をこぼす、
道路でつまずく、ものを落とす、いつもやっていること
なのにちょっとした小さな怪我をする等々加齢による
ものもありそれを割り引いても結構多いことに気付き
ます。

「所作」という言葉と結びついたのは、昨年居合
抜きのの名手という人と話していた時のこと、氏は
日頃の所作にも気を配っているそうです。上記の
辞書の意味では、4番のその場に応じた身のこなし
、しぐさに当たります。居合抜きの訓練としては
日常の所作においても行われていて、上記のよう
なことはほとんどなく、日々の所作がピタリと的確
にされているそうです。

老化もありますが、所作に氣が集中していない
ことも大きなことだと思います。氣が集まっていなけ
れば怪我の元です。例えば包丁です。前回単身赴任
の時、前任者が包丁で指に大怪我していたので、
それを教訓に今日まで事故なしできています。日頃の
所作に氣をいれ、日常をおろそかにしないことが大切
だということを戒めて生きていく必要を感じます。

所作(しょさ)という言葉、響きも美しく日本語らしい
すてきな言葉だと思います。



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