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祇園祭

梅雨が早く空け酷暑の日々が続きます。暑さに
やっと少しずつ身体が慣れてきたもののすさまじ
いものがあります。仕事柄京都を訪ねることが
ありますが、ちょうど祇園祭のクライマックスで
ある山鉾巡行の前の晩、宵山の前の前宵々々
山(14日)に事務所の近くを歩いてみました。
歩行者天国の通りはすごい人出です。

そもそも祇園祭とはどういう起源なのでしょう
か?
「疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)
神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。
しかし、その後も疫病の流行が続いたために
牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を
祈念した。869年(貞観11年)全国の国の数
を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その
矛にに諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国
の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身
牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったのがその
起源であるという。祇園祭が生まれた直接の
背景は、平安京がもともとが内陸の湿地で
あったために高温多湿の地域であったこと、
建都による人口の集中、上下水道の不備(汚
水と飲料水の混合)などにより、瘧(わらわや
み=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフ
ルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行したこと。
その原因が、先に大水害により挫折した長岡
京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で
無実を訴えながら亡くなった早良親王ら六人
の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある
卜占があったこと、などである。さらに、1世紀
後の970年(安和3年)からは毎年行うようにな
ったとされる。これらの祭式は神仏混淆の儀式
として成り立っていた。」(ウィキペディアより)

水害、疫病、貞観という時代の地震、それらに
よる遷都の混乱、歴史は繰返すといいますが、
本当にこういった共通項があったのだとつくづく
考えさせられます。風流で雅な催しの祭りも
もとをただせば人々の苦しみから前に向いて
元気を出していこうという動機があるわけです
ね。1000年以上たった現在も同じです。

山鉾の近くで見ましたが、織物がとても美しく
動く美術館とも言われているのもうなずけます。
「祇園祭のハイライト。元々は付け祭りだった
が、こちらの方がはるかに大規模になった。
山鉾からは祇園囃子のコンチキチンという独特
の節回しが聞かれる。現在のような囃子ができ
たのは江戸時代から。また、ゴブラン織りをはじ
めとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つ。」
(ウィキペディア)

こんな真夏のひとときも季節感に溢れるもの。
大切にしたいものです。
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今日(17日)山鉾巡行が行われます。


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